礼拝説教

3月12

 マタイによる福音書 21章1〜11節

 

ろばに乗って来られたキリスト

 

平良 師

 今、教会暦では、レント(大斎節、四旬節)に3月1日から入っています。これは、復活祭、今年は4月16日ですが、その前日までの46日間から日曜日を除いた40日間の斎戒<飲食は行動を慎んで、心身を決めること>期間を言います。キリストの荒野での40日間の断食、苦難を記念するものです。

 私は神学生の2年目に、東福岡教会で研修をさせていただいておりました。そのとき次女が小学生の1年生で、3年生の長女と一緒にバプテスマを受けました。前日、二人は当時牧師であられた福本先生(今は自由ケ丘教会で礼拝を守っておられます)や係りのご婦人と一緒にバプテストリーを掃除しまして、それから翌日の主日礼拝でバプテスマを受けました。

 そのときの次女の信仰告白のなかで、彼女が、聖書の箇所として読み上げたのが、このイエス様がろばに乗って、エルサレムに入城されるところでした。ここに描かれている優しいイエス様がとても大好きですと、信仰告白しておりました。この箇所は、子供心に感動をおぼえたようでした。自分のことを真実に受け入れてくださるお方だと思ったようです。

 しかし、イエス様は、優しいお姿だけではありません。結構、激しいところもお持ちでした。この箇所のあとには、イエス様が神殿の境内に入り、わたしの祈りの家を強盗の巣にしていると言われて、そこで両替商や犠牲の動物を売って商売をしている人々を追い出したり、それらの台や腰掛をひっくり返したという記事があります。また、他の箇所では、ファリサイ派の人々や律法学者、祭司長たちを偽善者と呼び、痛烈に非難している箇所もあります。それに比べて、この箇所は、実に優しいイエス様のお姿を彷彿とさせるのです。幼い子供にも、このイエス様がどんなにか、自分たちに近い存在のお方なのかが、理解できるのでしょう。

 イエス様が、ろばに乗ってエルサレムに入城されたようすは、当時の世の多くの王たちがしていたように、軍馬に乗り、また、戦車に乗って意気揚々と行っていた凱旋パレードとは大きく異なりました。特に、ローマ帝国では、このようなパレードは、戦争のたびに行われていたことでしょう。

 戦勝国となったローマの将軍や王たちは、大勢の家来を従え、そして、敗戦国の兵士を捕虜、あるいは奴隷にして引き連れて、その両脇には大勢の市民が歓声や音楽をもって迎えていたことでしょう。今もなお、大国の軍事パレードはそのような感があります。自国の軍備を誇り、他国に威圧感を与えており、他国からの攻撃をけん制しているかのようです。日本は憲法9がありますから、大々的なものはできないでしょうが、何かのおりに、それらしき雰囲気を感じ取ることはあります。

 日本においては、とりわけ優勝したスポーツ選手たちの凱旋パレードを思い浮かべたらよいのでしょうか。プロ野球や大相撲の優勝者、オリンピックで活躍した方々がバスやオープンカーでパレードするようすは、皆様も見たことがあるかと思います。当然のことですが、勝利した彼らは、誇らしげにしております。それに対して、イエス様がなしたパレードは、いよいよ十字架に向かう一歩でありました。

 イエス様がなさったのは、日ごろは荷を担いでいたであろうろばに乗って、それも子どものろばであった可能性が大きいのですが。ですから、とても弱々しい優しいといったイメージです。それに乗ってエルサレムに入ってきたのでした。マタイでは、これは預言者の言われていたこと「シオン(都エルサレムのあたりを指していた)の娘に告げよ。見よ、お前の王がお前のところにおいでになる。柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って」(ゼカリヤ書9章9節)が実現するためであったとあります。

 そして、このあとの同じゼカリヤ書9章10節には、「わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ」。エルサレムから軍馬が絶たれる、とは、力による統治が終わるという救いの出来事を言っているかのような言葉ですが、まさにこの時代、エルサレムを支配していたのは権力の座にあったヘロデ王とその上に君臨していたローマ帝国でした。

 それでイエス様は、軍馬、馬ではなく、ろばの子なのかと思われるわけですが、馬とろばを比べてみますと、馬は力強く、農機具を引いたりもしますが、古くから戦いの道具としても用いられ、兵士が乗ったり、戦車を引いたりしてきました。そして、今、日本に生きる私たちは馬と言えば、競馬で活躍する馬の姿を見ることが多いと思います。彼らは、スマートで恰好がよいのです。それに比べ、ろばは、小さく、のろく荷をかついでいるイメージがあります。

 しかし、一般市民にしてみれば、実に身近な親しみをおぼえる大いに生活に役に立つ動物であったことでしょう。それから、子ろばは、律法では、すべての家畜の産む初子は、ことごとく神へのささげものとしなければならないという規定がありましたが、ろばだけは例外でした。ろばの初子は神様への捧げものとならず、子羊によって代わりとされなければなりませんでした。イエス様は、この子ろばに乗ってエルサレムに入城されたのです。

 ここには、イエス様がどのような形で、救いを成し遂げようとされているのかということや救いからもれたと考えられていた人々をも救われるといった意味合いも読み取れるのではないでしょうか。イエス様は、当時の多くの人々がメシア、キリスト、救い主に期待していたような力強い王といったイメージは、ありませんでした。武力でもって、当時のヘロデやローマに苦しめられているイスラエルの人々を解放しようともしておられませんでした。

 それは、このような箇所からもそれは否定的だと受け取ってよいかと思います。また、神様への聖なる捧げ物としての犠牲の供え物としても扱ってもらえないろばに乗って、エルサレムへ入城されたのですから、救いからもれたと考えられていた人々こそを救われるといった強いご意志をそこにうかがうことができるでしょう。

 イエス様が、ろばの子に乗ってエルサレムに入城したとき、群衆が上着を脱いで道に敷いたり、木の枝を切って敷きました。それは、当時のイスラエルの人々にとって王を迎える所作であったようです。群衆は、このように子ろばにまたがって入城されようとしていたイエス様を王として迎えよう、救い主、メシアとして迎えよう、そういうお方だと理解致しました。

 イエス様がろばに乗っていくその前後にいた群衆たちは、「ダビデの子にホサナ(<主よ、救ってください>、<バンザイ>などの意味)。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」と叫んだとあります。ここでいう群衆たちは、それまでエリコやガリラヤからついてきていた人々であったと思われます。彼らは、イエス様がなさった数々の奇跡とおぼしき業を見たり、聞いたりしておりましのたで、そのようにイエス様のことを考えておりました。

 また、先ほどの旧約聖書ゼカリヤ書9章9節「見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って」、あの御言葉を思い起こしていた者たちもいたでしょう。また、エルサレムの城外にいた人々の中には、思い皮膚病を患っている人々など、救いからもれたと考えられていた人々もいたでしょうから、このような人々もこの群衆に混ざってエルサレムに入るときまで、このパレードに同行したかもしれません。

 ところが、都エルサレムの住人たちは、そうではありませんでした。「いったい、これはどういう人だ」と言って、騒ぎになりました。そこで、エリコやガリラヤからついてきていた群衆は「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者だ」と、答えたのでした。イエス様のことを自分たちのメシア、キリスト、救い主、新たなる王と考えた人々もいたでしょうが、このように、預言者と捉えた人々も少なからずおりました。

 まして、このあとのイエス様のエルサレムでの言動は、ほとんど奇跡などはなさらず、政治的にもかなり辛辣なものでありましたから、「いったい、これはどういう人だ」と思ったエルサレムの人々にとって、イエス様はどのように映っていったかは想像に難くありません。イエス様に出会った当時の人々からして、イエス様に対する理解は微妙に異なりました。

 ところで、「柔和」という言葉ですが、これは、痛めつけられる、惨めという意味もあるようです。確かに、このあと、イエス様は、そのような扱いを受け、十字架につけられるのです。

 私たちは、いろいろな考えや思想を持っています。キリスト教の信仰も、教理がありますかが、それですべてを括ることができるかというと、そうもまいりません。あなたは、いったいどなたをキリストと告白するのか、という問題もあります。

 幸い、私たちの教会は、同じイエス・キリストを信じる群れではありますが、イエス様の理解の仕方も多様であることを互いに認めている群れです。それでありながら、キリストによって集められた一つの群れであることを喜んでいこうとしています。

 青野先生は、新約聖書学者として、特にパウロをとおしてイエス様というお方は、このようなお方であったと理解しておられ、そのことを私たちに語ってくださいます。それは、贖罪論一辺倒ではおさまらない、さらなる福音の広さ、大きさ、深さを私たちに示してくださいます。

 私は、牧師として、すべての箇所から御言葉を同じような比重の置き方で、語ることをしています。というよりも、私が与えられている力量ではそれしかできません。ですから、おそらく、私の語る御言葉の取次は、矛盾に満ちているかもしれないのです。1ヶ月前は、このテーマについてはこのような話しをしたのに、今日は、このような形で説明している、といった具合で、一貫性に欠けているかもしれません。

 しかし、私は、聖書そのものが、そのことを許していると理解しております。聖書というものは、基本的なこととしては、信仰の書だといった理解をしています。あの地域で生まれ、それぞれの時代に生きた人々が、置かれている生活の場から見たこと、理解したことを、自分たちの民族の歴史なども踏まえつつ、神様との関係を意識して、綴ったものが聖書であると考えています。そして、そのとき、神様との関係を意識させてくださったのが聖霊のお働きなのだろうと考えております。

 もちろん、3世紀のキリスト教の会議において、現在の聖書に内容がとじられておりますが、私の持っている新共同訳の聖書には、旧約聖書の続編なるものがついております。続編というのは、第二正典とも呼ばれ、いわゆる外典です。これは、紀元前3世紀以降の数世紀に書かれたもので、現在のヘブライ語聖書には含まれていないのですが、初期のキリスト教徒は、これをギリシア語を用いるユダヤ教徒から聖なる書物として受け継いでおりました。

 そして、カトリック教会は、この続編もそれなりに用いてきたと思います。私が述べたいことは、聖書というのは膨大なものであって、それらをすべて、イエス・キリストの十字架と復活に集約することはちょっと無理がある、もちろん可能でありますし、そこに大きな比重を私もおいておりますし、贖罪論からの視点で聖書も語っております。しかし、それ以外の内容も私たちに与えられた神様からの福音として、語られているということは、聖書全体にわたり言えることではないでしょうか。

 そういうわけで、主任牧師である平良と協力牧師の青野先生と、そして、おそらく森牧師ともそうですが、聖書に対する捉え方、一つとりましても、一枚岩ではありません。しかし、これが私たちの教会の群れであります。これをばらばらと呼ぶこともできますが、私たちは多様性の豊かさと呼ぶことにしたのです。大切なことは、お互いが、互いの信仰理解について尊重し合うということです。今風の横文字で言えば、互いにリスペクト(尊敬)するということです。

 そして、ここでのイエス様のお姿からは、まさに力によって救いをもたらそうとは、神様はなさっておられないということです。しかし、ある方は、旧約聖書の力強き神様のお姿に目をとめて、神様は、神様の名を呼び求める者には勝利を与えてくださるというので、強力な武力を保持した上で、自分たちの利益を損なう国に対しては、戦いもやむなしと考えるでしょう。

 キリスト教徒の多い国が、何ゆえ、武力を保持しているのかということについては、その国の国民はいろいろな聖書の箇所を引用して、正義や防衛のためと理屈を組み立てていることでしょう。神様に従うよりも、神様を自分たちの利益のために用いようということも知らず知らずのうちにしているかもしれません。

 この場合、聖書に手を置いて宣誓はするけれども、聖書に忠実に、もっと言えば、キリストに忠実に生きるということを本気で考えているか、ということは問われないままになっているかもしれません。

 私たちは聖書の理解、信仰について、その多様性をぎりぎりまで大事にし、互いをリスペクト尊敬する群れですが、それについては、だからすべては許されているかと言えば、イエス様が、聖霊を汚す言葉は許されないと言われたように、必ず神様の前に立つときに、そのそれぞれの信仰についても問われるという事は間違いないのです。私たちの教会の群れは、そういった意味で、とてもリベラル(自由)な信仰をもっている群れですが、それぞれが負わなければならない責任はそれだけおそらく他の教会の方々よりも大きいと言えます。つまり、牧師がこう言ったから、こう考えなければならない、といった信仰者の集まりではないということです。

 ちょっと、脱線しすぎましたが、これは私たちの教会にあっては本質的なことですから、触れさせていただきました。

 私は、今日の箇所をこのように捉えました。イエス様のエルサレム入城は、ある意味では十字架への第一歩でした。この時のイエス様はろばに乗った姿でありました。エリコやガリラヤからついてきていた群衆は自分の服を道に敷いたり、木の枝を切って道に敷いて、このお方を迎えました。そして、この後、このお方は、痛めつけられ、惨めにも十字架につけられてしまいます。そのような形で、私たちの救いは成し遂げられたのでした。

 私たちもまた、事を行うにあたり、このキリストに学びたいと思います。十字架につけられた、まったく無力なイエス様を私たちはキリストと告白し、このお方に従っていく決意を致しました。