巻頭言


8月13日

創世記 28章16節〜20節

 

弟子とせよ 

三上 充 神学生

 マタイ28章19節後半から20節前半で、イエス様は弟子たちを派遣するお言葉を語られている。この派遣の言葉において、四つの行いが弟子たちに命じられている。命じられている四つの行いとは、①「出て行くこと」②「弟子とすること」③「バプテスマを授けること」④「教えること」である。そしてギリシャ語の構造的に、これら四つの命令の中心は、「弟子とすること」である。

 他の三つの命令は、「すべての民を弟子とせよ」という命令を補足説明する形で語られている。クリスチャンは、「すべての民」という言葉の中に、自分自身も含まれていることを覚えておきたい。「弟子とせよ」というイエス様の言葉は、単に「外側に広がっていく伝道をせよ」という命令だけではなく、「すでにクリスチャンとなっている者も、ますますイエス様の弟子となるように」という内側に深まっていく方向性を持つ命令でもある。

 「弟子とせよ」というイエス様の言葉を、私たちは、外側と内側の両方向に向けられた言葉として聞く必要がある。また、補足的に命じられている上記①、③、④の行為をも含めてまとめると、イエス様の「弟子とせよ」という命令は、「自らで設定した安心・安全の境界線の内側から出て行かせつつ、神様との豊かな交わりの中へと向かわせつつ、イエス様の教えに具体的に従うよう教えつつ、他者をも自分をも弟子とし続けよ」という命令である。正直、このような命令を私たち人間が完全に実行することは不可能であろう。イエス様はそのことをご存知である。

 だからこそ、イエス様は「弟子とせよ」というこの派遣の命令を、二つの宣言によって前後から包み込むのである。18節、イエス様が天と地の一切の権能を授かっているのである。20節、イエス様こそが世の終わりまで私たちと共におられるのである。だから、私たちは、信仰と不信仰との間を揺れ動きながら、現実のどうしようもなさに歯ぎしりしながら、それでもなお、「すべての民を弟子とせよ」というイエス様のご命令に、今日、応えようとするのである。