巻頭言


4月30日

ローマの信徒への手紙3章21〜31節

 

ところが今や、ただ信仰によって

 

森 師

 私たちの中には神様の前に誇れるものが何⼀つありませんが、罪に塗れた私たちが唯⼀誇れるものは神が御⼦イエス・キリストを通して⽰して下さった神の愛です。パウロは全ての⼈々が罪の⽀配下の内にあることを⽰しつつ(ローマ3:9~18)その中でも神御⾃分が聖であられるように、⺠が聖となるために律法をお与えになりました(レビ19:1~2)が、結局のところ律法によっては罪の⾃覚しか⽣じませんでした。(ローマ3:20)

 しかし、今や、イエス・キリストによって神の義が⽰されたと⾔い、しかもそのことは「律法と預⾔者」を代表する聖書(※当時は旧約の事)によって証しされ⽰されたとパウロは⾔います。このことはイエス・キリストによって⽰された神の愛や神の義(神が私たちを無条件で良しとして下さる!!!)というのが、当初から⽰されていたという事を暗に伝えています。

 パウロは異邦⼈伝道の先駆者であり、福⾳を周辺諸国へと知らせた⼈でありましたが、パウロの信じている神理解は、初代教会の信仰告⽩を基本的に踏まえつつ、なお⼤胆に私が信じている主とはこのようなお⽅だと宣⾔しているように思われます。

 「⼈は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスの贖いの業を通して、無償で義とされるのです」どなたでも受けとることの出来る神の恵み、しかもそれは驚くべきことに無償のプレゼントです。私たちはその根幹を踏まえつつ、どんな⾔葉で、そしてどんな⽣き⽅でその信仰を表明していく事が出来るのでしょうか。